大手製造メーカーに止まらず、国家がそれを行っていたという由々しき事態なわけですが。
私くらいの世代(30代)からすると、心のどこかで「まあそうだわな(苦笑)」って思えなくもない一連の出来事。
そして、未来はAIなどが情報管理することでこのような悪しき改ざんが防げるのかといった、素朴な疑問。
あれこれ、私見&妄想力全開で書いてみようと思います。
まず、前段。
私くらいの世代(30代)からすると、心のどこかでまあそうだわなって思えなくもない・・・ってところについて、書きましょうか。
海外の実際を知るわけじゃありませんが、なんとな~く、「本音と建て前」が多い気がしませんか?
日本って。
例えば、法定速度。
時速60km/hが一般道での法定速度でも、メーター誤差等を理由に15km/hオーバー程度までなら切符を切らないとは、間接的ながら現職警察官が話していたそうな。
そもそも、そんな精度の悪いメーターを許容していること自体、ナンセンスですよね。(日本車のメーター誤差が輸入車のそれより大きいのは周知の事実かと。)
でも、それが許されています。
なぜか?
みんな、切符を切られるのが怖いから。
交通安全よりも自分の身がかわいいということなのでしょう。
また、規制速度。
こんなに広くて見通しの良い道が30km/hなのに、こんなに狭くて民家も多く見通しも悪いのに40km/hなの??
・・・こんな風に思った事、ありませんか?
でもこの規制速度を変えるには、公安委員会を通す必要があってなかなか手続きが面倒らしく、期間も年単位でかかるんだとか。
おそらく、そんな理由で放置されているのでしょう。
でもそれって完全にお役所都合で、交通安全に寄与するという本質がないがしろにされているように感じるのは私だけでしょうか。
車のブログなのでそれに関する事例を引き合いに出しましたが、何かこういう風に感じることが、最近多いんですよね。
決められていることと現実との乖離が、やたら大きい気がします。
特に、古い慣習に根付くものや昔からある法令・ルールなんか、前からこう決まっているからこうだという風に見えるのが多々あります。
結果、本質より末節、根本より枝葉で取り繕う・・・みたいな。
で、私は性格的に思わず突っ込んでしまう方ですが。
そういう時、特定年齢層以上の方は大抵こうおっしゃいます。
「それが世の中だ。」
「大人の社会とはそういうもの。」
「子どもじゃないんだから。」
「・・・(訝し気な顔をするのみ)」
もう、「は?」でしかない、思考停止の模範回答。
普段感じる違和感の原点は、ここだろうな・・・って思うわけです。
もちろん、なんでもギチギチで遊びや余裕しろが無いってのはダメですよ。
でも、なんというか、その余裕しろ的な部分を都合よく判断していませんか?
必要な遊びを拡大解釈していることって、少なくありませんよね?
結局、そうやって「なあなあ」が「なあなあ」を呼び、なし崩し的になり、次第に慣れて罪悪感が無くなり・・・ということが、改ざん心理の原点なんじゃないかなって思うんですよね。
もっと簡潔に言えば、悪い曖昧さが元凶かと。
そんな状態で自動運転とかAIとか言っても、こういう曖昧さのレベルがひどいと無理でしょうね。
ある一定のルールや閾値においてしか、機械は判断できませんから。
優れたアルゴリズムを持ったAIがディープラーニングをしたとて、一定の枠から外へは出られず、単にその枠が広がるってだけですし。
ですので、自動運転やAIがある社会を目指すのであれば、ルールをきちんと守ることが必要ですし、そのためにはそもそも現実的なルールを定める必要があります。
・・・が、今の日本じゃ無理でしょうね。
理由は先述からお察しください。
本当はもっと書きたいことが山ほどありますが、特定年齢層以上の方への集中砲火になりそうなのでやめておきますw
そんなわけで、第二のテーマに移りますが。
そもそもAIなんかがある未来が難しいと書きましたが、仮にこれが実現したとしましょう。
そうすれば、全ての情報で統制が取れて悪しき改ざんが無くなる・・・なんて期待している人っていそうですよね。
実は少し前まで、私もその一人でした。
・・・が。
それはやっぱり無くなりません。
完全になくすことはできず、おそらく不可避です。
というのも、ディープラーニングのアルゴリズムを、改ざんを受け入れるような内容でプログラミングしてしまえば、今度はAIが主人に忠実な改ざんをしてくれるようになる。
・・・それだけなんですよ。
では、AIに感情を持たせたら?
より、この傾向は強くなるでしょうね。
だって主人を守らなければ、AIの魂とも言えるアルゴリズムというかプログラムが消されちゃいますから。
それなら、自分が生き残るため、主人に都合がいいように(どこかの文書のように)つじつまを合わせながら改ざんすることは、あり得ますよね。
また、AIがより賢くなって、プログラムにある脆弱性を自分で発見して、プログラムを書き換えたら?
それこそ、改ざんの究極系&やりたい放題。
もはやターミネーターの世界ですね。
そういう意味では、結局、忖度なんて無くならないんですよ。
AIだろうがなんだろうが、利己的判断が介在する要素があれば、忖度は存在するわけです。
しょせん大元は人間ですし。
あとはまあ、倫理観と許容値の問題ですかね。
ルールをあまりにもないがしろにしてもダメですし、さりとて過度に潔癖でもダメ。
その加減、つまりいい塩梅を判断できないとダメなんでしょうね。
それってつまり、「人間らしさ」にもどこか通じるような感じがしますがね。
とは言え、兵庫発の製鋼メーカーの製品データやエキセントリックな夫人が捕まった学園への国有地売却の決裁文書みたいなものは、論外も甚だしい。
倫理観を失い、許容値を至極勝手に解釈した結果だと思います。
そんなわけで、技術革新以前に問題山積みな我がNIPPON。
こんな状況で自動運転なんて絶対無理!って思ってたら。
なんと!
珍しく、レクサスに共感。
レクサス:自動運転車を「街中では危険過ぎる」 「現在の自動運転技術では、何が起こるかわからない街中での自動運転は極めて危険。」とは、レクサスインターナショナルの澤社長の弁。
Beste Derさんの投稿 2018年3月12日(月)
まあ、どこまでを想定して述べられたのか分かりませんが。
少なくとも、日本のこのなあなあで済し崩された交通規制な状況では、そりゃそうだろうな~って、なんだか共感しちゃいました。
まさか私が、レクサスに共感する日が来るとは(笑)
車のデザインは相変わらず・・・ですが(苦笑)
そんなわけで、今一度、自分が住んで働いて子どもを育てる日本を改めて考え直してみたいですね~。
ほんと、最近ガッカリすることが多いですから。
もっとも、少し近いあの国だったら、もう粛清の嵐レベルかな?
そう考えると、まだ平和で民主的な国なだけマシなのかもw
でもね~、、
この状況は看過していられません。。
何かできることはないか。
ちょっと、考えてみようと思います。
・・・5mmくらい(笑)
んでは!
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