Pages


2021-03-20

将来、自動車はなくなると思う ~「2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ」を読んで思ったこと~

最近、2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ という本を読みました。

コロナ禍もあって、この先の不確実性が増す一方、テクノロジーの進化が加速している面もあるわけですが。
日本で手に入る情報ってガラパゴスな情報が多く、世界の最先端技術が現状どれくらい進んでいて、そこからどのような未来が見えるのか、ちょっと俯瞰してみたかったんですよね。

本書が執筆されたのはコロナ禍の前ですが、大きなトレンドを捉えるという点では、コロナ禍の前であってもいいかなと。
もちろん、ほかの本(新しい世界 世界の賢人16人が語る未来)なんかも読んで、コロナ禍による世界の変化も補完したつもりですが、大きなトレンドは変わらなそうだなと感じました。

で、この本のレビューを真剣に書けば、おそらく10記事くらい書けてしまうのですが(まとめるのが下手ともいうw)、当ブログに相応しい「自動車の行く末」について、私見をまとめてみたいと思います。


・・・そうは言っても、2030年に向けてどのように世界が動いていくのかを最初に知っておく必要があるので、へたくそながら簡単に要約してみます。

まず、この先の10年の変化は、本書で言うところの「コンバージェンス」が加速する時代になり、これまでの100年間に起きたものに匹敵する変化がこの先10年間で起きる可能性が高い、つまりそれくらい進化が加速すると書かれています。
「コンバージェンス」とは直訳では収斂や収束といった意味ですが、本書では「融合」という意味で用いられおり、本書における「コンバージェンス」とは、テクノロジー同士が融合することを表します。
そして、そのコンバージェンスが進化の速度を加速度的に加速させる、というのです。

例えば、「空飛ぶ車」で考えてみましょう。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、その事例として書かれていたのはUberのeVTOLです。
ごらんの通り、でっかいドローンみたいなこちら。
なんだかカッコいいですね。

そんな見た目はさておき、空飛ぶ車に要求されるものとして「安全性」「騒音の少なさ」があるわけですが。
これらは分散型電気推進力(DEP)やバッテリーの進化で克服することが可能とされており、その裏には数々のテクノロジーのコンバージェンスが起こっているとされています。

具体的には、DEPの動力である電磁モーターの進化については、ドローンの発展が寄与しているわけですが、その裏には、機械学習の進歩(超絶複雑なフライト・シミュレーションを行う)、材料科学のブレークスルー(軽量かつ耐久性のある部品を作れる)、3Dプリンティング(あらゆるサイズのモーターやローターを短時間で作れる)といった、主に3つの技術がコンバージェンスしたことがあります。

また、空飛ぶ車のDEPは数十個の電磁モーターをマイクロ秒単位で調整する必要があるわけですが、そのフライ・バイ・ワイヤー(コンピュータ制御)が可能となった裏には、AI革命によって膨大なデータを基にマイクロ秒単位でモーターと機体の制御をリアルタイム連携させることが可能になったことがあり、さらに、それに必要な情報はGPS・LiDAR・レーダー・カメラ・ジャイロセンサーと、スマホ市場における熾烈な競争によってブレークスルーしてきた技術と、自動運転に向けて市民権を得た技術がコンバージェンスしたことで実現しているといっても過言ではありません。

バッテリーについても、重量と電気量(要するに電力密度)の問題がありましたが、太陽光発電と電気自動車の爆発的成長が蓄電システムへのニーズを後押しし、それが空飛ぶ車でも利用可能な新世代のリチウムイオン電池の誕生につながりつつあるとされています。
また、全固体電池などのリチウムイオン電池よりも電力密度や安全面(熱処理・発火面)で有利なバッテリーなども誕生しつつあるわけですが、これらも材料科学のブレークスルーをはじめとする様々な技術のコンバージェンスの結晶とも言えるべきものでしょう。

さらに、安全面でいえば、交通管制システムも見落とすことはできません。
何といっても空を飛んでいる自動車の交通整理ができなければ怖くて飛べたもんじゃありませんからね。
その交通管制システムいついても、5Gや6Gなどの移動通信技術、それらから得た情報をリアルタイムに処理できるAIや量子コンピュータなどがコンバージェンスすることで可能となるわけです。
特に、災害時であっても交通管制システムの通信が途絶えることは許されない(むしろ災害時こそ使えるべき)点からすると、6G(成層圏にある衛星から電波を飛ばす)は必須なわけですが、2030年頃にはサービス提供が開始されると見込まれており、折しも本書が予測する2030年と近似しているわけです。

・・・と、「空飛ぶ車」誕生の背景だけで長くなってしまいましたね。

要するに、10年前まで夢物語に思えた「空飛ぶ車」は、各テクノロジーのコンバージェンスによってその開発が加速した結果、現実的な設計や試験運用が可能な状態まで来ているということです。
さらに、これらテクノロジーが進化・深化することで、コストも大幅に下がってより多くの人の手に渡るようになり(※)、それによってさらにテクノロジーは進化・深化し、そのテクノロジーが他のテクノロジーとコンバージェンスすることでまた新たなモノ・サービスが生まれ・・・とスパイラルが生じ、それによって変化の加速度合いがこれまでとは比較にならないレベルになる、とされているのが、本書の柱になる部分です。

※ 携帯電話を考えれば分かりますよね。超高価で重箱みたいな大きさだったものが、いまや手のひらサイズに収まり、そこにコンピューター・カメラ・GPSなんかも備えて、誰もが手にすることができる程度の価格になっています。


前置きが随分と長くなってしまいましたが、この中で自動車が受ける影響というのは、計り知れないと思っています。
究極的には「一般的な自動車はこの世からなくなり、趣味で持つモノになる」と、本書を読む前から考えてはいましたが、そうなるのは案外遠くない未来なのでは?という気さえしてきました。

そんなわけで、現在の自動車が受ける影響を、3段階の変化で捉えてみたいと思います。

なお、ここではローカルではなく、グローバル視点で考えを展開していきます。
というのも、いまや日本車メーカーも海外で売れないと成り立たないわけですから、世界の潮流を受けるのは必至と考えています。
たまに、日本では発電ソースを考えると電気自動車はむしろ環境負荷が高いから内燃機関が続く・・・なんて意見を聞くことがありますが、日本でしか売れない車を作り続けるメーカーってこの先存続できるのか、とても疑問に思えます。
その辺りを見落とさないようには、グローバル視点で俯瞰しないとですからね。


というわけで、まず1段階目の変化は、既に起こっていますが、電気自動車と自動運転、それらと合わせて起こっている所有形態の変化ですね。
これはいまさら説明するほどのことはないので、細かい説明は割愛しますが、いずれもシンクロしているということは改めて書いておきたいです。

電動化と自動運転の相性がいいのはご存じかと思いますが、それによって実現した自動運転は自動車を没個性化すると考えています。
過渡期こそいくらかの差はあるのでしょうけど、いずれはどれに乗っても大差ない・運転する楽しみもないとなれば、わざわざ所有する必要がないと帰結されるでしょう。

いずれは、一般的な人は自動運転タクシーを利用するようになって、わざわざ高額なイニシャルコストとランニングコストを負担してまで所有するという人は希少化していくことでしょう。
また、これらに伴って、車種だけでなくメーカーも絞り込まれる(M&Aが活発化する)と思います。
なんたって、どれに乗ったって大差ないんですから。
残ったメーカーは、車の出来よりも、いかに魅力的なサブスクリプションが用意できるかという部分で生き残っていくことになると思っています。


2段階目の変化は、冒頭で書いた「空飛ぶ車」の普及ですね。

地球環境の保護が取り沙汰されていますが、それに必要なのはCO2削減だけではないはず、というのが持論です。
電気自動車であっても走行にはタイヤやブレーキを使うわけですが、その塵やダストというのも、粒子状物質(PM)の元になるわけですし。
また、電力の効率面で考えても、タイヤが設置して摩擦を発生させているのに加え、道路という決まった場所からしかアクセスできないわけで、非効率です。

ですが、「空飛ぶ車」はそれらを両方とも解決してしまいます。
タイヤはなく減速時にブレーキダストを出ないので環境負荷は極めて低く、空気抵抗のみで摩擦抵抗はなく、何より最短距離で目的地まで飛べることから、同じ目的地に行く手段としては電気自動車よりも電気効率が良いのは明らかです。

この空飛ぶ自動車も量産化が進んでコストが下がってくると思いますが、おそらくさらに没個性的になり、交通管制システムの関係から完全オートになるでしょうから、所有する人はまずいないでしょうね。(一部の富裕層なんかは持つかもですが。)
離着陸のポートも必要になりますし、一般的な面では完全にタクシー的なサービスで乗る形になると思います。
そう考えると、2030~2040年には、以下のような体験が日常的になるかもしれません。
  • ちょっと遠くまで行きたいなって思ったら、地図アプリで何時何分に着きたいか、目的地を設定。
  • 時間になると自動運転タクシーが自宅まで迎えに来て、空飛ぶ車の離着陸ポートのある所まで送ってくれる。
  • 離着陸ポートにはジャストインタイムで来た空飛ぶ車が待機しており、それに乗り込む。
  • あとは目的地まで、眼下の景色を眺めるもよし・読書をするもよし・・・、なんて考えていたらあっという間に到着。(大抵は自動車での移動時間の半分以下になる。)
・・・といった具合です。
空飛ぶ車では、渋滞にうんざりしたり焦ったりすることもなく、煽り運転やルール・マナーを守らない車にストレスを感じることもありません。

こうなったときに、誰が自動車を所有しようと思うでしょうか。
この時点で、車の運転や所有が趣味な人だけが持つモノになってしまう・・・ということになりそうな気がします。


そして、3段目の変化です。
これは最もインパクトが大で、そもそも「移動」という概念の終わりの始まりのような気がします。
そう、ホロデッキ、実空間におけるデジタル3Dアバター、ブレインコンピューターインターフェース(BCI)の登場です。

ホロデッキとは、自分の周りのすべてがARやVRになる空間を言います(もちろん、ヘッドセットなどを装着せずに)。
例えばナイアガラの滝が見たいなと思ったとします。
その場合には、それ用のプログラムをホロデッキに転送し、その装置に入れば、わざわざ高いお金と時間をかけて飛行機で移動する必要はなくなります。

今の技術だと難しそうに思えますが、その頃にはネットワークや処理能力がより速くなってラグが人間の認識しないレベルになるでしょうし、人の目線や動きに合わせてホロデッキ内の画像があたかも現実世界にいるような形で動くことになるでしょう。
また、感覚や嗅覚に与える研究も進んでいるようなので、その頃には現地で感じる匂い(マイナスイオン的な何か)や、風の感覚、さらには滝の音の衝撃音てきなものも再現できるようになるでしょう。

そうなると、わざわざ時間とお金を必要以上にかけて移動する必要がありますか?ってことになるわけです。


実空間における3Dアバターとは、自分の分身を別の場所にある実空間に投影することです。
簡単に言うと、分身+テレポーテーションですね。
空間投影技術、高精度な3Dスキャン、遅延のない通信、高性能なGPUとCPU(量子コンピュータになるかも)が、これを可能にします。

これがあれば、会議の出席者がもはや実物なのかアバターなのか分からないってことになりそうです。
さらに技術が進歩すれば、超小型・超静音のドローンがこれを投影するようになり(つまりアバターが移動もする)、ぱっと見ホンモノかどうかの区別が付かないくらいになるかもしれません。
そうなると、有名人が自宅訪問します的なサービスが出てきたり、それに乗っかる詐欺(本物か偽アバターか区別がつかないゆえ)なんてことが社会問題に・・・ってことになるかもしれません。

いずれにせよ、ホログラムは自分が外側にあるものを体験するためのものですが、アバターは自分があたかもそこにいると周りが認識してくれるものです。
この二つが組み合わさった時点で、「移動する」という必要性は激減するでしょう。
おそらく、海水面の上昇や干ばつがひどくなって今いる場所に今後住めなくなるとか、そういった切羽詰まった理由がない限り、ほとんどの人は移動しなくなるような気がします。


そして極めつけは、ブレインコンピューターインターフェース(BCI)です。
もう映画マトリックスの世界なんですが、脳とコンピューターを接続してネットワークに繋げ、クラウドにそれらを蓄積することで、BCIで接続された人達の思考や意識が集まるな世界(ハイブマインド)が実現するということです。
インターネットがコンピューターのネットワークだとしたら、ハイブマインドは人間の脳のネットワークとも言えますね。

これはまあ、本書でも「究極の交錯点」と表現している通り、本当に究極的な感じはありますが、いずれ人類が向かう方向はここかなと思っています。
個人的には、いずれ人類は肉体をなくす方向で進化していき、知能のみで生きる生命体になっていくんだろうなと、実は思っておりましたので。(サピエンス全史 (下) を読んでからは、その考えは確信に近いレベルになりました。)

まあBCIについては、自分が生きているうち(ちなみに四十路です)に実用レベルになるか疑問はありますが、本書によれば寿命を延ばす技術も発展しているようなので、私が120~130歳になる頃にはお目にかかれるかもしれませんね。


・・・というわけで、少し脱線しましたが。

いずれにせよ、目下これらの動きは始まっています。
そして、おそらくこの流れは止めることはできません。

少なくとも、電気自動車への移行なんてのは可愛いもの(過渡期)で、先述の通りいずれ車種は減り、自動車メーカーは合併を繰り返す中で淘汰されていくことでしょう。
そして、その先に自動車を所有するのは、よほど趣味が高じたような稀有な方々のみとなり、その所有する車を修理やメンテナンスするのにも遠くに行って高いお金を払って・・・という形になると思っています。(だからこそ趣味。)

と、ここまで車好きにとっては、ずーん…となるような暗い話題ばかりでしたが。
そんな先のことを憂うよりも、健全なのは「今のうちにどうしておくか」ということです。

そんな中で出した私の答えは、『今のうちに好きな車に乗ろう』ですw
(フェラーリ ローマ。宝くじ当たったら買いますw)

どうせ将来は自動車がなくなる方向なら、今のうちに楽しんだ者勝ちかなと。
おそらく私は、先述したような自動車を持つことが高価な趣味になったら、ドロップアウトすることでしょう。

ですので、いま許される範囲で、好きな車に乗っていきたいなと思っています。
(Audi R8 の初代前期型。自分史上最高のデザイン。)

今の自動車は30年後には原始車なんて呼ばれ、近代史辺りで「昔は人間がわざわざ操作しなければ進まなかった。」なんて書かれていて、孫から「爺ちゃん、原始車について教えてよ。」って言われるかもですし。
そうなったときに、後悔はしたくないですからね。
(BMW M8 Gran Coupe. やっぱ実用性もないと。)

というわけで、次期愛車でも探しますかw
さすがにこの3車種はムリですがww


んでは!





0 件のコメント :

コメントを投稿